7/7 13:00ごろ 拍手くださった方へ!!ありがとうございます。
長くなっちゃったので返信を以下に折りたたみます。
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こんにちは!まずはメッセージを送っていただき、そしてご自身の生い立ちや経験についてお話いただきありがとうございます。
いただいた内容、どれも私自身に身に覚えがありすぎて、強い親近感を覚えました。
私の作品に感想をくださったり、交流してくださる方の中にも、生い立ちが近いと感じる方が多くて、実は私自身も「私たちの境遇が近いからこういう物語に惹かれるのかな?」と考えたことが何度かあります。
「被虐待経験のある人は、フィクションの中の虐待や暴力を好みがちなのか?」というご質問に対して、世間的にどうなのかまでは私には分からないのですが、同じ疑問をChatGPTに訊いてみたところ、個人的にとても腑に落ちる答えが返ってきたので、紹介させてください。
(引用箇所はチャットgptの生成原文なので違和感のある箇所があるかもしれませんがご容赦ください)
ChatGPTが考える「フィクションの暴力や悲劇を好む理由」
① 感情の正当化・代弁になる
機能不全家庭で育った人は、自分の中の怒りや悲しみ、孤独といった強い感情を「なかったこと」にされがちです。
だからこそ、フィクションで描かれる極端な状況に自分の感情を投影し、「自分の痛みはここにあっていい」と感じられることがあります。
② 現実の理解を補う装置になる
機能不全家庭で育つと、何が普通で、何が異常なのか分からないまま大人になることも多いです。
フィクションで家庭内の暴力や支配構造が描かれると、自分の過去を言語化したり、整理する手がかりになることがあります。
③ カタルシス(感情の浄化)
物語を通して、現実では感じきれなかった感情を安全な形で追体験し、泣いたり怒ったりして心を動かせる。
これはセラピーのような効果があり、「泣いてすっきりした」という経験をくれることもあります。
④ 自己と他者をつなぐ共通言語
似たような経験を持つ人同士で、「この話、わかる」と共感し合えると、自分の感情が社会の中で共有可能なんだと感じられて、孤独感が和らぐことがあります。
とのことでした。もちろん、みんながみんな同じ理由でこういった作品に惹かれるわけではないと思いますが、
少なくとも私は、悲劇や暴力を描くとき、上に挙げたような理由や感覚が自分の心のどこかにあると感じています。
そして同じような体験や感受性を持つ人に私の書くものが癒しや共感を生んでいるなら、それを描く意味があったなと感じます。
長々と語ってしまいすみません。
こうして近い境遇の方からメッセージをいただけると、「自分だけじゃない」と思えて、私自身も心が支えられます。
素敵な問いかけをありがとうございました。